「陰で日本を支える力になる」ウクライナ侵攻から生還、そして未来へ塾生起業家 前原剛氏

 みなさまは3年前、ロシアのウクライナ侵攻が始まった際、首都キーウにて活動していた、足利市出身の塾生をご存じでしょうか。今回、ご紹介する 前原剛(つよし)さんがその人です。私にいち早くその情報を知らせてくださったのは、前原さんの知人でもあり足利三田会メンバーの故・荒江周三さんでした。その時の新聞記事は、本編後半にご紹介します。当時、SNSなどでは、「彼はいったい何をやってるんだ!」と心配を越えて、問題視する声なき声があがったのを覚えています。

 この度、慶應塾生新聞(4月4日号)の第1面に、前原さんへのインタビュー記事が掲載されたと、メンバーの小林佑輔さんからのお知らせがありました。そこで、是非、みなさまにも読んでいただきたいと思い、塾生新聞のURLを掲示してもよいのですが、本文そのままに転載いたします。(タイトルもそのままいただきました)

 また、その後に、ウクライナ侵攻時の下野新聞の記事を掲載します。

さらに、本編をまとめるためにネット検索している中で、YouTubeに前原さんがおそらく慶應キャンパスでしているであろうスピーチ(TED×Keio)を発見しましたので、そのURLを記載します。

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https://www.jukushin.com/archives/63963

「陰で日本を支える力になる」ウクライナ侵攻から生還、そして未来へ塾生起業家 前原剛氏

2025年4月4日

慶應塾生新聞 編集局  

 冷戦終結以降、世界では米国がヘゲモニーを握り「世界の警察」と言われてきたが、近年はアメリカの退潮に伴う世界の多極化により、各地で紛争や内戦の絶えない不安定な情勢が続いている。一方でグローバリゼーションも進行し、国境を越えた人と人との交流は絶えない。よって現代世界では、邦人が紛争地域に取り残されるリスクが非常に高くなっている。

 今からおよそ3年前の2022年2月24日、ロシアが突如としてウクライナに侵攻した際も、現地では多くの邦人が生活していた。塾生の前原剛氏もその一人である。前原氏にウクライナへ移住した理由や戦時下でのエピソード、戦争体験に根差した現在の取り組みについて聞いた。

ウクライナは起業の地として至適

―なぜウクライナへ移住されたのですか。

 第二次世界大戦中、欧州の地でユダヤ人を救った外交官に杉原千畝という日本人がいます。親族である彼への憧れが自然と私を世界へ誘いました。「グローバルに活躍する起業家になりたい」そんな想いを持ちながら、純国産のスタートアップの海外展開はうまくいっていない現状があります。はじめから海外に拠点を置くことを考え、たどり着いたのがウクライナでした。

 ウクライナは旧ソ連構成国で、ソ連の宇宙開発の拠点となっていたこともあり、優秀な理系の人材が多い一方で、物価が非常に安くコスト面でも利点があります。それを示すように、ウクライナからはGrammarlyやGitLabといったグローバルなテックスタートアップ企業が生まれています。シリコンバレーで有名な起業家の共同創業者にもウクライナルーツの技術者は多く、このようにウクライナの持つネットワークを活用して起業することはメリットが多いのではないかと考えます。

―現地では具体的にどのような活動をされていましたか?

 現地のイノベーションパークである『UNIT,CITY』のプログラムに応募しました。UNIT.CITYには多国籍の投資家・メディアが集まり、研究センターや育成プログラムが用意されています。自身はそこでエンジニアリングとインキュベーションプログラムに参加し、現地の起業家との交流などに着手したのですが、その矢先にウクライナ侵攻が始まってしまい、苦労のわりに成果を得ることは叶いませんでした。

戦争は極限のリアリティを持つ

―ウクライナ侵攻当初の様子についてお伺いしたいです。

 ロシアがウクライナに侵攻したのは2022年の2月24日ですが、ウクライナ国内では上旬ごろから戦争の可能性があると盛んに報道されていました。そのため一度ポーランドに避難し、そこで情勢を見極めることに決めます。

 しかし、2月中旬になっても一向に開戦の気配はなく、UNIT.CITYのプログラムも進んでいたため、結果的に開戦前日となった(当然予想できないもの)2月23日夕方のフライトでウクライナの首都キーウにある自宅に戻ってしまいました。

 そして当日、侵攻開始から4時間後の現地時間午前8時に起床、ロシアの侵攻を知りました。街の様子は完全にパニックで、telegramやニュースの報道も錯綜し、何が正しい情報か全くわからない状況で、まず行ったことは、スーパーに行き食料を調達することでした。しかし家もいつミサイルや空爆で攻撃されるかわからず、一方でシェルター内にてロシア軍によるテロが起きる可能性も捨てきれません。悩んだ末シェルターに避難し、当面の危険をなんとかやりすごしました。

―帰国までの間は何をなさっていたのでしょうか。

 ウクライナの軍人などの助けも借り、無事に列車でポーランドに脱出することができました。日本に帰国したのは同年夏頃ですが、帰国までの間はポーランドで難民支援のボランティアなどをこなしながら、自身のメンタルケアのため穏やかに過ごしていました。

―難民の方との交流で感じたことはありますか。

 ひとことで言えば、戦争にきれいごとはない、ということです。ウクライナでは成人男性の出国が禁じられているので、難民は全員女性と子供です。そのため、彼女らは新天地で夫の帰りを待ち続けるか、それとも別の人と結婚するか、という話を真剣にしていました。

 後方で見ている日本人は、旦那を捨てるなんてひどい、と感じるかもしれません。しかし、当事者は生き抜くためにそれを選ばなくてはならないのです。平和の中に生きる日本人の感覚では理解することができないようなリアルがそこにはありました。

防衛産業、国防の重要性

―帰国後はどのようなことに取り組まれていますか。

 2022年冬、サッカー元日本代表の本田圭佑が設立したKSK MAFIAというファンドの投資家に選ばれた際、同じメンバーとしてUC Berkeleyの応用数学科出身で、株式会社Solafuneを創業した上地練に出会いました。彼は衛星データの解析技術を研究しており、沖縄出身という要素も手伝って、衛星データを安全保障に用いることに強い関心を持っていたのです。自らの戦争経験を生かすにあたって、彼と視点が一致したため、政府渉外役としてSolafuneへ参画することを決めました。

―そこでは主に何に取り組まれましたか。

 国内、国外と大きく分けて2つあります。国内向けでは各省庁や閣僚レベルの事務所と関係を構築すること、国外向けでは海外の政府と交渉し、我々の技術を用いたプロジェクトの組成に勤しみました。在日大使館に何度も足を運び、その中で現地政府や管轄の大臣などとコネクションを作ることもありました。衛星データを用いて、世界で起きている山火事や鉱物資源の違法採掘といった国境を越える大規模で複雑な問題を解いていくため奔走しています。

 海外現地での交渉には危険が伴うことも当然ありますが、戦争を実際に知っている身のためここでは言えないようなアクシデントが起きたとしても、リアリズムを持ち、冷静に対処することができるようになりました。これまで特段の問題を感じたことはありません。

―他に事業は行われていますか。

 私自身が創業、代表パートナーを務めるAsia Defense Innovation Fundという防衛ファンドに力を入れています。日本の安全保障に資する国内外の防衛技術スタートアップへ投資し、国内の防衛産業とスタートアップのエコシステムの統合、同志国と官民双方でパイプを構築し、複雑怪奇な国際環境において母国を守るという目的に従い、重要インフラの構想も練っています。

 戦後日本の安全保障観のまま我が国を本当に守ることができるのか、未来の当事者たる二十代の我々こそ慎重な議論を重ねていくことが将来の日本にとって重要だと考えています。防衛技術とは先端技術の結晶であり、産業競争力の源泉です。日本は経済規模が縮小していく中で、他国との対話を蔑ろにせず、譲らぬ部分をしっかりと持ち、国際社会でプレゼンスを発揮していかなければ成りません。

日本と世界を繋ぎ止め、事を成すフィクサーへ

―ご自身の経験から見た、日本の強みと弱みは何でしょうか。

 日本には、独特な島国文化として育まれた、先祖を敬い、自然を大切にし、集団の和を重視するといった倫理観があります。これは、善い悪いは抜きにして珍しいものであり、日本人の強みであると考えます。仮に日本人として、どれだけ日本のことを嫌っている人がいたとしても、皆日本の歴史にある文脈から逃れて生きることはできません。どんな人にも歴史の系譜は存在します。その中で、先に挙げた精神性だけは見失わないでほしいと思います。弱みは強みに変えるだけなので、特にコメントしません。

 そして、精神性以上に重要な論点があります。その代表的なものがまさに防衛産業を考えることです。日本は先の敗戦後、平和国家としてのプレゼンスを背負い、経済優先主義でアメリカに国防を任せてきました。しかし、自分のことを自分で考えられない国の末路は想像に難くありません。カオスを極める現在の世界情勢の中で、日本人はもう一度国家とは何かを考える必要があるでしょう。

―今後の展望をお聞かせください。

 短期的には、産業リソースの安定調達に最も注力したいと考えています。国民を守りながら産業や経済を活性化させるには、生産を維持するために必要な鉱物資源やエネルギーの安定調達が欠かせません。衛星技術を用いてアフリカ大陸のサプライチェーンを可視化することで、日本の鉱物資源外交の先駆的な存在を目指すSolafuneで行ってきたことはその一例です。

 私には参考にしている先人たちがいます。高崎達之助や梅屋庄吉、正力松太郎などです。彼らに共通するのは、民間人でありながら外国と日本を繋ぎ、日本の国益に資するような仲立ちをしたことです。

私の長期的な展望は、彼らのように、表に名が知られなくとも、日本が危機に瀕した時、相手国と交渉し日本を守れるようなフィクサーで在ることです。自分の母国がいい方向に行くのであれば、いくらでもそうした役を買って出るつもりです。

若者は常に世界をアップデートする

―最後に、読者に一言お願いします。

 これを読んでいるのは10-20代の若者、つまり未来を作っていく同志だと思います。

 これは、慶大の学生だとか、日本人だとかは関係なく、若者は常に世界をアップデートする能力を持っている上に、その能力を有効に発揮し、反証可能な形で世界の記憶に残らなければなりません。その際に重要なことは、自己認識の「広さ」と時間軸の「長さ」だと思います。「自分は世界に対して何を生み出せるのか」「何を未来に託すのか」という問いに集中し、生かされた自覚を持って残りの決して長くない人生の時間を丁寧に使いたいと思います。

(山田裕介)

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https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/558752?fbclid=IwAR1P1CUPk2-dtsvyjqmSRJgOsQ6V1T5Rj3uFcgpzkaOVFpSl_HGyLXZfCFY#google_vignette

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2022/2/26 

悲痛な叫び、シェルターから投稿 「生きるため最善尽くす」 キエフ滞在 大学生の前原さん(足利出身)

 「もしものために文章を残します」。緊迫した状況が続くウクライナの首都キエフで「シェルター」に避難した栃木県足利市出身、慶応義塾大2年前原剛(まえはらつよし)さん(20)が現地時間25日、悲痛な叫びを会員制交流サイト(SNS)で発信した。県内の関係者らからは、前原さんの身を案じる声が上がっている。

 「どうか現地に残ってる日本人、並びにウクライナ人の多くの友人たちが命を落としませんように」。25日昼、前原さんは「寒さと恐怖」の中で短文投稿サイト「ツイッター」に文章を投稿した。

 前原さんは国学院栃木高を卒業後、同大に進学。ITを学ぼうと今年1月、キエフに留学したばかりだったという。

 24日朝、在日ウクライナ大使館の投稿でロシア軍のウクライナ侵攻を知った。「ガソリンスタンド付近は渋滞、配車アプリは全滅」で空港や駅へのアクセスはすでに難しくなっていた。「20年の人生でまさか戦争の現場に居合わせてしまい…」。その言葉からは動揺と困惑がにじむ。「シェルター」に避難し、ウクライナの支援を願って現地から発信を続けているという。

 「ロシアのミサイル、工作員のテロ、外気のいてつく寒さ。内心、もう何が何だか分からず、辛いです。こんなに枯れた涙が流れたことはありません」

 投稿は日本時間25日午後9時半現在、6万件近くリツイートされている。「社会と人々の心と、幸せを感じられる世界になってほしいなと思います。どうかウクライナのサポートをよろしくお願いします」と締めくくった。

 前原さんは同日、下野新聞社の取材にツイッターを通じて応じ「私は生き残るために最善を尽くします。どうか、日本の皆さんに私の思いを伝えてください」と訴えた。

 国学院栃木高で柔道部だった前原さんを指導した葭葉国士(よしばくにお)さん(46)は25日午後、知り合いを通じて事態を知った。「テレビの映像で伝わってくるだけの想像もできないような世界の話と思っていたので非常に驚いている。本人の詳しい状況などが分からず、心配だ」と憂慮した。

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https://www.youtube.com/watch?v=XlK-l-PdF7c&t=23s

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